楽しみ

私も70年以上生きたが最近になって分かりかけたことは「生きた価値」は
何が出来るかより何が楽しめるかによってその人の価値が判断されると思う。
学歴でも肩書きでもない個々の歩んだ道がいかに楽しめたかが人生の勝敗だ。
どんなに偉い先生でも“学者ばか”では決していい人生を送ったとはいえない。
ひとつごとを極めても自己満足の世界ではホンモノの世界を知ったとはいえない。
事業に成功しても高慢になり感謝の気持ちが無ければ人生の成功者とはいえない。
昔、読み書きソロバンの達人は今ではPCのクリックひとつでたちどころに解る
ことも便利なようでも苦労して覚えた記憶やたずさわった感情には及びつかない。
自然の動植物も映像の世界でいくら勉強して知識を得ても、実際に手に触れ体験
しないと高度な感性は得られないし楽しみ方も知らない偏ったものになってしまう。
野球のTV観戦より草野球で走ったりするほうが楽しいのは体験の学習だからだ。
どんな名演奏を聴くより自分でギターを奏でるほうがはるかに脳幹に響いてくる。
日本人に生まれた幸せはその風土に四季があり習慣や言葉の深みなど楽しむ環境が
ほとんど揃っていることだ。例えば夏の表現も暑気、猛暑、盛夏、酷暑、入道雲
積乱雲、夕立、夏山、雪渓、朝顔、百合、蝉、蟻、鮎、岩魚、晩夏、という具合に
言葉をいとおしみ相手に自らの心情を伝えるのは人間にだけ与えられた特権だろう。
体の衰えは年とともに進むのは仕方ないが勉強を楽しみ継続するかぎりは、感性は
伸びる気がする。楽しみを持つ事が人生の最高の醍醐味かもしれない。