夏の終わりに(5)

残暑の中にヒグラシの鳴き声は夏の終わりを告げているような気がする。
蝉の姿を見ていつも思うのは食糧難のときにバッタやトンボなどと一緒に
フライパンで炒って食べた記憶が自責の念にかられて虫に申し訳なく思う。
姫路へ越して間もなく鶏、猫、犬を飼った。鶏は卵を採るために、猫は
鼠を捕るために、犬は鶏小屋をイタチやカラスから守るためにそれぞれの
分担で活躍した。猫や犬は餌をやらなくても自分で調達して生きていた。
ちなみに戦争中は犬を飼うのは一般には出来なかった。「犬の献納運動」と
云うのがあって犬に爆弾を抱かせて突撃させる構想があり軍が徴用したが
実行された事は一度もなく実際は毛皮や食用にされた悲しい出来事だった。
戦争は人間だけでなく動物にも生命を強いられた受難の日々と言えよう。
鶏の餌は弟妹たちが小川で掬った小鮒や泥鰌と雑草を与え卵は毎日産んだ。
しかし産まなくなった鶏は飢えた家族の胃に入る運命でその処分と調理は
私に任せられた。近所の大人に教わりその通りに手を下したがその方法は
あまりにも残酷なのでこれ以上書きたくない。生きるための手段だった。
また父の親戚の空き地を借りて、母が芋や野菜を植えて糧の一部にした。
瀬戸内海に面した当時の姫路の浜は、使われなくなった塩田の跡が広がり
遠浅の海岸は広大できらめく海と砂浜のコントラストは美しい風物詩だった。
蛤やアサリが多く棲み毎日のように採りに出かけ家族の貴重な蛋白源にした。
けれど塩田の跡地は一本の川を泳いで渡らねばならず素裸で衣類を持って
立ち泳ぎをし、身を切るような寒い冬も出かけたが風邪も引かなかったのは
若さのせいだろう。自給自足の生活は厳しかったが、また楽しさもあった。