夏の終わりに(6)

食糧難の一つの手段に買出しがあった。都会の人たちは食べるためには農家へ
直接、米や芋など買いに行って飢えをしのいだ。当時の食糧事情は一日三合の
配給米だが実情は月に20日以上が欠配していて無きに等しい配給切符だった。
お金の価値も超インフレで下って、実際は衣料や家具などを持って物々交換の
形態がほとんどで家々では残された衣類を持って食べるものと交換に出かけた。
一家の露命をつなぐためには思い出のもの、大切なものが次々と消えていった。
父母にとってはどれほど悲しい思いをしたか計り知れないが、その買出しさえ
食管法違反で電車の中やホームで検閲官が見張って買ってきた米など没収した。
没収され泣き叫び絶句している人々の声や姿は今も怒りが脳裏から離れらない。
その抗議のために配給米だけで餓死した検事のニュースもあった世相だったが、
まさに血も涙も無い政策に私は電車を避けリヤカーで買出しをすることにした。
友達と二人で近所の人たちにも頼まれ姫路から網干(片道約30K)まで三日に
一度は行った。米、芋、魚、野菜、煙草の葉まで荷車で運んだが、そのうちに
行商人のように儲ける事も覚えて面白くなり疲れなど飛んだ思い出が懐かしい。
食料は食管法違反、煙草は専売法違反だったがヤミ市に売るルートも知って
典型的な不良少年の行為は、怖さを知らない無鉄砲さに今思うと空恐ろしい。
それにしても農家のエラそうな尊大さは目に余るものがあった。子供と思うと
下にみて恩きせがましく売ってやるとばかりに態度がとても傲慢で言葉つきも
汚く罵られたがここが我慢と耐えた。成金の農家は家の中の調度品や腕にした
金時計を自慢して見せびらかした。都会の人たちからせしめたものに違いない。
日本人としてこの人たちと一緒に戦争を戦ったのかと思うと、複雑な気持ちが
して農家の人たちを今も好きになれない。