夏の終わりに(7)

戦中戦後の服装は男の人は国民服、女の人は着物にモンペを穿いていた。
下着は男は越中ふんどし、女はズロースで夏も冬も同じものを着て暮らした。
しかも国民服はカーキ色着物やモンペは黒っぽい地味な色合いがほとんどで
まるでコピーされたようにどの町や村も見かける格好は同じで、その配色は
人々の気持ちを暗くしていた感じがした。戦時中に派手な服装や、女性では
スカート、パーマなど禁止された事もあり、替着とてあまり無く街の人々は
ヨレヨレで、ボロボロで、みすぼらしい姿は敗戦の様子を物語る感じがした。
子供たちも同じような格好で冬など薄着のせいかアオバナたらしシモヤケで
手足は赤く腫れて夜などかゆくて寝付けない幼い弟妹たちが可哀想だった。
そのうえ不衛生のせいかシラミが発生して着物の縫い目や髪の毛に住み付き
人々を悩ませた。シラミは一度身体に付くと容易に駆除は出来るものでなく
見つけると親指の爪で潰すが卵が着物の折り目などに産みつけられて熱湯で
衣類を洗っても絶やすことは出来ない。役所などで駆除薬のDDTを身体に
散布をしたこともあったが一時的で毒性が強くいつの間にかその薬も消えた。
蚤や南京虫等もどこの家にも定住して人々の皮膚を赤く腫らせて困らせたし
お腹には回虫も多く寄生し弱った体に容赦なく襲った吸血鬼はいっぱいいた。
まさにサバイバルゲームを地でいくような苦しい諸体験は戦時中よりむしろ
戦後のほうが大変だったように感じがするがまさに生き地獄そのものだった。
父も帰って家族が揃ったが傷の回復もままならず肺を病みながらでは仕事も
ままならず実家の別棟で暮らしていたが、相変わらず母と私が主な働き手で
下の妹は幼い兄弟の面倒と家事一般の仕事を支えて皆で協力して暮らした。