夏の終わりに(9)

「こずかたのお城の跡の草に寝て空に吸われし十五の心」 歌人石川啄木
詩の中でも最も好きだった一句だが「一握の砂」は紙が擦り切れる位読んだ。
薄幸の人生だった啄木と相通ずる気がして、いっぱしの文学少年気取りで
詩を書いたり日記文を綴ったりしたことが満たされない日々を和ませていた。
そんな少年が初恋をした。近所に引越ししてきた神戸からの同級生の少女で
焼け出されてお母さんの実家に身を寄せていた。人を見つめる目がとても
魅力的で育ちのせいか垢抜けしたそぶりは少年の心を最大限にゆさぶった。
キッカケは忘れたが手紙の交換をした。場所は神社の狛犬の下に置いたが
場所を二人で決めただけで親密なもののように思え恋心が大きく膨らんだ。
とにかく夢中だった。バイロン、ハイネの詩を読み漁り引用もして書いた。
今にして思えば初恋のときめきは「恋の意味」を充分に理解できないまま
見切り発車してしまったようなもので、せっせと恋文を書いては出したり
捨てたりして、恥ずかしさと憂いで悶々とした気持ちの揺れに悩んでいた。
ある日しめし合わせて彼女が以前に住んだ神戸の舞子の浜に遊びにいった。
後にも先にもたった一度のデートだったが彼女が握ってくれたおむすびの
味はなにものに代えられない感激だったし白砂青松の須磨海岸も向こうに
見える淡路島も、二人を演出するように春霞のなかで幸せの一日が流れた。
二人がなにを語り、なにをしたかは記憶にないが浜の景色だけが脳裏に残る。
当然にコイガタキが現れた。相手は一年先輩のガキ大将で何時も子分を従え、
ある日待ち伏せされて集団で滅多打ちにされた。「彼女から手を引け」と言う。