隠居の独り言(17)

今日は父の命日であれから20年の歳月が流れたが、あの冬の朝のこと父は
起床していつもの朝風呂に入ろうとして倒れそのまま病院に担ぎ込まれた。
医者は子供たちが集まるまで人工呼吸器を外すのを待っていてくれて臨終に
立ち会えたが、あっけなく静かに誰に相談も無く三途の川を渡っていった。
しかも父は生前に大学病院に検体の申し込みをしてその上葬儀無用の意思を
持っていたので、つつましく子供と孫だけで通夜と密葬のかたちで済ませた。
突然の死は家族にとっては驚きと悲しみとやるせないものだが父にとっては
死んだ事さえ知らずに逝った事にきっと満足の終わりであったに違いない。
父の思い出は怖く頑固でよく叱られたりしたが、その反面では遊びや勉強、
物事を良く教えてくれた事にとても感謝している。子にとっては親を選べ
ないがこの父にして自分はとても幸せだった。けれども父と暮らしたのは
15歳で自分が上京するまでで、その間には戦争のため赤紙が来たりして
物心がついて父と生活したのは僅かな年月だったので親孝行もままならず
晩年の数年にあちこちの温泉や万博、TDLなど案内出来た事が懐かしい。
思えばなんと質素な父の終焉だったのかは偲ぶだけでも胸が熱くなるが
今に思えば死とはこんなに簡単なものだろうか。生まれた以上は「死」は
約束事だが、その瞬間だけが怖いだけで後のことは今の世界も無くなり
全てが分からないのだから恐れる事もないだろう。自分自身もそろそろ
父の寿命に近づいているが、あの世では父とゆっくりと話し合える事を
楽しみにしている。