隠居の独り言(21)

司馬遼太郎は晩年にある雑誌社との対談で「日本のわずかの平地を米も作らず、
工場もおかず投機の対象とのみにした。狸が木の葉を出して一萬円札だと言えば
そうですかという風なやりかたです。その流れのなかに政府と銀行が飲み込まれ
るどころかメーンにしていたと言うのが実体です」あれから長い月日が流れたと
いうのに一向に人々は懲りずに耐震偽造マネーゲームで馬鹿な事をしている。
司馬さんは歴史を正しく語った事により未来の日本の行く末を案じていただろう。
晩年の頃は国土がバブルの土地ブームで一億総不動産屋ともいわれて投機に走り
地上げ屋の横行、生涯をローン返済に苦しむ庶民など日本人全てが疲弊していた。
「地面を投機の対象にして物狂いになどは経済より倫理の課題の問題だ。国民の
 ひとりひとりが考えねば日本国に明日はない」産経朝刊の「風塵抄」に載った
この言葉が絶筆となったが終わりの一行が悲痛そのものに感じるのはとても辛い。
美しい日本の風土に住んでいる私達が開発という名で自然を壊し人々の優しさも
消えて荒れたのはお金の魔力に負けてしまっている事に皆が気づいてほしい。
そして今は汚い土地の上に建てられた耐震偽造のビルは司馬さんが生きていたら
何と思われるだろうか。昭和を生きた司馬さんは日本人特有の詩的感覚や情感を
体験して本にされた幸せを天は与えてくれたと思う。年々に悪くなっていく今の
世相は司馬作品のような純粋文学を生み出す土壌が消えていく気がしてならない。
一つの時代が終わったには違いないが、すさむ日本を予感されていたのだろうか。
司馬さんの願った「いい国のかたち」の名作が泣いている。  合掌。