隠居の独り言(34)

トリノ五輪ではメダルの取る難しさを、まざまざと見せ付けられる思いだが
今の幼稚園や小学校の運動会で例えば徒競走で一位になっても何の表彰も無く
全員が記念品をいただく「参加して意義あり」の催し物には頭をかしげる
競争社会で生き抜くためには小さい時からその意識を植え付けなくてはダメで
モヤシに育てられれば芯の強さも猛々しさも身につかないのは当たり前だ。
人は生まれながらにして平等ではない。男、女、人種、才能、環境、家柄など
当人には関係の無い運不運の格差よりも誰にも持つ個性を伸ばしてあげるのが
本来の教育と思うが一見、公平そうで優しそうでそれがマイナスになっている
ことに気づかないのだろうか。「ゆとり教育」とは教師のためと断言してよく
少子化のせいか家族の少ない子供たちは休日を過ごすのに何をしていいのか
分からない。テレビやゲーム機に夢中なのはどこか歪んではいないだろうか。
一方では塾通い、習い事などで忙しい二極に分かれていく現実を教師たちは
どのように思っているのだろうか。熱血先生も大勢いるが、教師によっては
夏、冬休みの宿題も出さないのがいるがそれは怠慢としか言いようが無い。
東京都江東区では小学校に学生塾の先生を招いて勉強の方法を教えるらしいが
考えようでは教師の資格ってなんだろうと思ってしまう。卒業式も間近いが
仰げば尊し我が師の恩」と尊敬された先生の威厳は過去の事なのだろうか。
田山花袋の「田舎教師」は師範学校も出ていない代用教員の物語だが貧しさ
ゆえに青雲の志を子供たちに語り、共に大志を描く小説は何度読んでもいい。
学校の先生は地方公務員の中でも給料が高くて職業としてはいい身分だが
収入に見合う仕事をしてもらうのは当然だが子を持つ親として納税者として、
将来の日本を憂う者として、その重責をよく認識してもらいたい。 つづく