隠居の独り言(35)

私は小さな帽子会社を営んでいるが昭和24年に上京した頃は食べ物も無く
ボロボロの衣服を着ていても、ほとんどの男の子たちは学生帽を被っていた。
当然に学生帽は売れて入学時期になると一年間作り貯めた製品は底をついた。
それだけ日本の社会には服装の観念があって「衣食足りずも礼節」の習慣が
根付いて昔からの「烏帽子」の身なりの考えが学生帽に繋がったのだろう。
それはひとりひとりの日本人としての自尊心の表れだと思うがその秩序は
戦後の占領軍の命令ですっかりアメリカナイズに洗脳されて影を薄めた。
自由とか民主主義とかの思想が氾濫して服装規定やらそのマナーなどが
否定されて学生服の自由化が始まり自然に学帽も売れなくなっていった。
今の学生たちを見ていると個性的もいいが茶パツが流行りTシャツ着て
ダボダボズボンを下げジーパンの膝小僧をわざと破リルーズソックスや
ヘソ出しの格好は醜態としか映らないがそれが今の学生服なのだろうか。
昔の黒のツメエリに戻れとは言わないが、こざっぱりとした身だしなみに
若者らしさを表現してほしい。戦争に敗れて心までも負けてしまったのか
大人たちもアメリカ文明の映画や身なりを通じて西洋文化に憧れてそれが
カッコいいの基本になって現在もそのアトを引いている。サラリーマンも
学生も、以前は会社や学校に行く時にはそれなりの格好をして出かけたが、
今は服装のケジメも無くなっている。若い人に言いたいのはグローバルな
考えも結構な事だが長年に培われた日本文化の良さも忘れないで欲しい。