隠居の独り言(70)

富山射水病院で、延命治療を中止したために7人の患者が死亡する事件が
問題になっているが、末期医療で患者に意識がなく回復する見込みのない
状態で人工呼吸器を外したことが「倫理的に問題があった」と外科部長が
謝罪をしても、なにかやりきれない気持ちでこの報道を考えさせられた。
この出来事は「尊厳死」や「安楽死」などの問題を提起しているようで
人生の終末をどのように迎えるのかに難しい事が多すぎるようだ。
人それぞれの考え方や意見があるが病気の回復の可能性が100%無くて
ただ死を待つ場合や、医学的にも治療の意味が無い終末医療の必要性は
虚しさを覚えるだけで人間の尊厳死とは程遠いように感じられる。
本人に意識が無くただ延命のための治療などは医師や病院には利益に
なっても家族にとっては精神的経済的にも大きな負担で、ましてや
保険等の国の医療費をますます膨らませるばかりでとても疑問に思う。
人にはそれぞれの運命が定められているように諦める事も与えられた
使命で人生の終焉は誰も決めることは出来ない。自分の命でありながら
自分で決められない延命措置に疑問を感ずるのは何のための治療だろう。
僅か40年ほど前では殆んどの人が自宅で死期を向かえ家族に見守られて
人生を閉じた。「畳の上で死にたい」は誰もが思う切ない気持ちだが
自分の命でありながら自分の意思を反映出来ない処置はとても辛くて
ままならなかった人生も最期だけは自分の納得の終わり方にしたい。