隠居の独り言(100)

早いものでこの隠居シリーズも100回を数えた。毎朝の新聞を見ても
世の中の変化はよくぞこれほど書く記事があるものだと感心もするが
考えようではブログの新しいネタを与えてくれているようで、出来事を
ヒントにしているが新しい言葉や横文字などに付いていけないところが
儘あって歳を取る哀しさをしみじみと感じる。実を言うと私はほんとの
隠居ではない。つまりエセ隠居だ。隠居の定義は公務という現役を離れ
悠々自適に自由に暮らせる身分であって会社を営み家族の中心の責任を
背負わされたりしている現状ではとてもじゃないが隠居は夢のまた夢だ。
昼間は商売、孫と同居の生活を続けるのは持って生まれた悲しき定めか。
落語じゃないが横丁のご隠居は「八つぁん熊さん、まぁまぁーおあがり、
お茶でも入れようじゃないか」そこで珍問愚答をしながらヒガラ過ごす。
適当に物知りであんまり金持ちでもないが、といって生活には困らない。
普段はご近所の三味線のお師匠さんと端唄、小唄でやりとりをしている。
そんなホンモノの隠居に憧れていたが、世の中はままならないのは常で
実際の生活はさておき忙しい合間を見つけてはこうしてブログを書いて
隠居のフリを出来るのも、みなさまのお陰で、世の中便利になったなぁ、
と長生き出来た事を感謝して人生を充分に楽しませていただいている。