隠居の独り言(116)

生暖かい梅雨時の夜はむかし祖母が怪談話をしてくれた事を思い出す。
地方出身の年寄りの最後の仕事の一つに自分の入る墓地探しがあるが
公営墓地はいつも満員状態でたまの募集の抽選も倍率が高くて籤運の
弱い私には望むべくもなく、新聞のチラシにある広告に目にいくのは
年寄りの哀しき習性なのだろう。自分の人生だから最後の決着は自分で
付けるのは当たり前だが普段が無信心だけに何を基準に選んでいいのか
分からない。町の中にある寺の墓地はたいがいが裏側にあって門があり
本堂がありその裏手に墓石の立ち並ぶ墓地のあるのは、将来の墓参りの
ときにお寺の境内を通るので厳かな気持ちになれるのは想像が出来るが
寺以外の分譲墓地などはいきなり墓石の立ち並ぶ空間に入るわけだから
造形的には賑やかでも無機質で冷たい場所の感じで妙な空しさがある。
といっても何処の墓も墓石共々でウン百万円からウン千万円であの世の
住居を探すのも楽じゃない。生きて地獄死んでも地獄とはこの事だろう。
昔の墓地は怖かった。ほとんどが土葬でぞっとする怖い感じがあった。
お化けや幽霊の棲家で時には火の玉が飛んで恐ろしい場所の代名詞の
ようだったが今の墓地は石や塔婆が立っているだけでその実感が無い。
死者の魂の恐ろしさは先祖を敬う心とは表裏一体のものだが宗教心の
薄れた現代社会には遠い昔話で、遊園地のお化け屋敷では若者たちが
キャーキャー楽しんでいる。TVアニメや水木しげるの妖怪が栄える
今の世相はお化けも住み心地が悪いようだ。子供の頃は近くのお寺の
墓地でお供え物を盗んで食べたり灯篭に巣を作る小鳥や卵を捕えたりの
悪童だったが仏様も許してくださったとみえ今日も元気で暮らしている。