隠居の独り言(132)

先週死刑か無期懲役かで注目された広島の小1女子殺人事件はヤギ被告に
無期懲役判決があったが、同じ年頃の孫を持つ身として納得が出来ない。
被害者の父親はあえて娘の実名報道を望んで犯行の残虐さを訴えたのに
裁判所はマニュアル通りに、殺人の場合は一人を殺せば求刑は死刑でも
判決は無期の判を押したような事なら裁判は何のためにあるのだろう。
裁判官は「被害者が単独で衝動的な犯行であり前科もなく・」ときた。
人を殺めるには理由があるはずだ。その理由を突き詰めるのが裁判所で
刑の判断は犯行のいきさつによって決まるのだろうがヤギ被告の場合は
稀にみる残虐な犯行で子を持つ親のみならず社会に大きな衝撃を与えた。
むろん死刑は法の下の殺人でよほどの事がない限り下すべきではないが
ヤギ被告は過去にも性犯罪の履歴があり人間的にも矯正不可能と考える。
被害者の家族には何ともやりきれない「無情な判決」には同情しきりだが
凶悪犯罪が多発している昨今では厳罰主義で望まないと犯罪は減らない。
ヤギ被告は判決の後で「神に感謝している、殺すつもりは無かった」と
言ったという。被害者の神経を逆なでするような言葉なぞ聞きたくない。
七夕の夜、お父さんは「ごめんね、裁判に勝てなくてごめんね・・」と
星になった娘に告げただろう。抉るような心痛な声が聞こえてくる。
加害者の立場を考慮して被害者の心情を無視しているようなこの判決に
日本の法曹界のありかたを考える。