隠居の独り言(145)

緊迫するレバノン情勢は2人のイスラエル兵をイスラムシーア派ヒズボラ
拉致したのが発端だがそれをきっかけに戦闘で双方が相当数の死傷者を出し
レバノン国際部隊まで飛び火したのは、その根の深さと終わりの無いさまは
宗教戦争の恐ろしさを物語っている。北朝鮮に大勢の日本人が拉致されても
なすすべもない国とは大違いだ。そもそも日本、中国、朝鮮など東南アジアの
人々は「信心」はあっても一神教のような巨大な絶対神が存在はしないが
キリスト教イスラム教、ユダヤ教の元は姻戚のような間柄のはずなのに
それだけに互いに異端者とみなせば自らの神の意思として身命を賭して戦う。
国家そのものがキリスト教を国教として担ぎ上げたヨーロッパ諸国などでは
国旗まで十字架を模してイングランド、スイス、フィンランドデンマーク
ノルウェー等の国々は色こそ違えデザインははっきりと十字を切っている。
それらの国々ではキリスト教以外を信じる者にとっては住みにくい事だろう。
アメリカだって新大統領の就任宣誓式では聖書を持って宣誓するのが通例だ。
西洋史を調べても十字軍は自分たちの宗教を押し付けるために各地に派遣され
現地で殺戮を繰り返し、中世の宗教裁判などは複雑で残忍なものが多いのは
信仰にかこつけて人間の嗜虐的な醜い悪魔の面が表れているとしか思えない。
現代のアメリカが北朝鮮よりもイラクやイランにお節介する波長の高いのも
宗教色が絡んでいるからでその辺りを読まないと日本は置いてけぼりになる。
鰯のあたまだって信心してしまう、お人好しの日本人とは次元の違う人種は
地球上で大半を占めていると考えたほうがいい。何もかもが解明されつつある
21世紀にもなってまだ殺戮の応酬の宗教戦争はこちらから見れば愚かしいが
決して他山の石ではない。