隠居の独り言(194)

「読書の秋」「灯火親しむの候」という言葉は聞かれなくなって久しいが
最近のケータイの流行りは幼い小学生でも持っているのが当たり前になり
指運びばかりが発達して人間関係も絵文字入りメールがあれば心が通じると
思っている人が多いがそれは大きな勘違いで真の友情はメールでは築けない。
インターネットは確かに便利だが、仕事にしてもやはり相手との直接対話を
なくして商談が成り立たない。足を運ぶ、顔を合わせる、話しをする、その
過程で家族、友人、学校、仕事や国の外交そのものも信頼関係を熟成する。
TV、漫画、アニメなど目から入るだけの知識や情報の伝達だけでは駄目で
体験を重ね実物を見て感動を覚えないと身に付かない。学校の教育にしても
無機質な○×式答えが多い手抜き勉強では弊害が出てくるのは当たり前だし
学校の「ゆとり教育」は義務教育の根幹であるべき「読み書きそろばん」の
「いろは」も出来ないうちにパソコンを導入して教えているのは本末転倒だ。
きちんと文字を教え、本を熟読し抽象概念を築いてそれを作文に繋げる事が
敬語や道徳を自然に覚える事であって正しい言葉が養われる勉強を小学校の
低学年からすべきではないか。まして英語導入などはもっての他だと思う。
きれいな言葉や作文の能力は読書の時間に比例するが最近の子供や大人も
以前にくらべて読書の時間が少なすぎると思う。そして彼らのほとんどが
自分の考えや思うことを自由に言葉や文章に表現が出来なくなっている事に
気付いていないのがとても哀しい。それは言葉の乱雑さや粗悪化に繋がり、
長年に培われた折角の美しい日本語を台無しにしている。「人をいじめない」
「盗みをしない」「勤勉になる」これらの道徳も習慣的に、正しい話し方や
読書を持つことで自然に身に備わっていく。