隠居の独り言(242)

女優の岸田今日子さん、前東京都知事青島幸男氏の訃報は、同じ世代だけに
身に沁みて人生のはかなさを思い死は誰も避けられない天地の自然と実感する。
先週土曜日、年末恒例の某老人ホームでいつもの慰問演奏が終わって一人一人に
握手をして聴いてくださったお礼を言いながら歩いていたとき、ひとりの老人に
訊ねられた。「あんさんは、幾つかのぉ」自分の歳を教えると、急に泣き出した。
そして「同い歳なのに、あんさんが歌って、あたしがここにいて、どうして?」
返事に詰まった。慰問のつもりが立場を替えれば逆にこの人を傷つけていた事に
気がつかなかった自分が恥ずかしかった。この世はまこと無常で不公平で誰もが
健康と幸せを願っても叶えられない人も多く、どんなに医学や科学が発達しても
持って生まれた不条理を解決する事は無い。人間の生老病死は絶対的に約束された
事柄だが、運不運、幸不幸、自分の寿命だって答えが出ない。若く命を落とす人、
長寿を全うする人、身体の強弱や性別、人種、貧富、頭脳、美醜、性格など幸せに
関する事柄は運としか言いようがない。健康や寿命はそれをいくら追い求めても
キリがないし追求すればするほど、そのこだわりの観念に捉われ埋没してしまう。
歳を取って思うのだが、地球の生物たる人間の生老病死のサイクルは時の流れに
誰もが逆らえないから自らの定めには粛々と従うほかない。人間ドック等で検査を
受けて必ずどこかを指摘されるのは加齢による肉体の老化現象だから仕方がない。
皺が増えて姿格好が醜くなり頭髪が抜けて歯の何本かが失われても元に戻らない。
健康の三原則(食事、運動、睡眠)を忠実守ったからって寄る年波には勝てないし
60〜70〜80台の、それ相当の衰えは誰もが公平であると思う。いつまでも健康で
長生きをしたいのは山々だが自分の意思と神様の思し召しが一致しないのは切ない。
生きているだけでも儲けもの、歳を取ってのやる事は人生の仕舞い支度と考える。