隠居の独り言(292)

戦前の3月10日は陸軍記念日だった。明治37年日露戦争で日本軍が
満州奉天郊外でロシアの大軍を破り戦争を勝利に結びつけたこの日が
陸軍記念日と定められ、同年の5月27日の日本海海戦での圧倒的勝利の
海軍記念日と二つの記念日は軍事大国日本を鼓舞する象徴的な式日だった。
敗戦間近の1945年のその日にアメリカは日本が大切に思っていた式日
わざと狙って東京大空襲が行なわれた。サイパン硫黄島などを奪われて
制空権のまるでない日本の上空はアメリカ空軍機の専用の踊り場のように
好き勝手に荒らされた。最初に東京の上空に現れたB29爆撃機は1機で
それはオトリ機だった。空襲警報が鳴り都民の気持ちをオトリ機に向かせ
やがて退去のニュースにホッとして眠りについた頃に突如としてB29の
300機の大軍が来襲して焼夷弾ナパームM69約2000トンを超低空から
爆撃をして短時間のうちに東京の下町の密集地の大半を焼け野原にした。
しかもその戦法は密集地の周囲から落とし、まず「火の壁」を作った後に
逃げまどう人々に狙いを定めて無差別じゅうたん爆撃を加えた。地獄の
悲劇の中で亡くなった人や行方不明者は10万人以上で現在でもその数は
正確に掴めていない。アメリカの卑怯な殺戮はこれが戦争なのだろうか。
徹底的に一般民間人を狙った行為は日本人へのホロコーストではないか。
日本の各都市への爆撃、そして原爆の投下などは非戦闘員の殺戮を禁じた
ハーグ条約の定義にも違反しているし、未だに謝罪の意思も言葉も無い。
残虐な行為を棚に上げ、一方的に戦争の責任を枢軸国の日本やドイツ等に
押し付け、連合国の正義とやらを無理強いした戦後の体制は腹立たしいが
アメリカやロシアにナチスユダヤ迫害を責める資格を質したい。