隠居の独り言(304)

誰にもこだわりがあって友人はウイスキーならジョニ黒、ビールはえびす、
日本酒は灘五郷で下戸の自分が言うのも可笑しな話だが、でもそうらしい。
音楽はモーツアルトに始まりモーツアルトに終わる、と断言する人がいる。
こだわりはどの世界も同じだが、たとえば器楽を演奏する人は声楽の曲を
あまりご存じないし、その逆もそうで好みの作曲家ともなるとこだわりは
ますます異なる。ある友はバルトークプーランクが好きというが私には
お手上げで聞いていても感動は起こらないし時間的に苦痛に思ってしまう。
人間の持って生まれた感覚はそれぞれだが、ギターは長い間を親しんだが
同好会や演奏会などでプログラムを見ても知らない曲が多いのはまだまだ
修行が足りないのか奥が深いのか音楽は無限だ。娘は音大のピアノ科を
卒業して二期会の伴奏をしたとき声楽曲の殆どを知らなくて毎晩のように
泣いて帰ってきた。オー・ソレミオも知らなかったのだからひどいものだ。
絶対音感が多少だが備わっていたから続けられたものの無かったとしたら
今はピアノを辞めていただろう。それにしても有名な曲ぐらいは覚えたい。
ラテンがベサメムーチョならタンゴはクンパルシータ、シャンソンは枯葉?
民謡、歌謡曲、ポピュラー、クラシックおしなべて音楽が嫌いな人はいない。
こだわりとは突き詰めの感情だろうが例えば車はベンツだという信仰がある。
日本車にも負けじ劣らじのレクサスやシーマ等の高級車があるのにと思うが
政財界の親分たちや、その筋のコワイ人たちは黒色のベンツに乗っている。
銀座を歩けばルイヴィトンやシャネルなどのブランド店でお金持ちの婦人が
買い物をしているが、ブランド品と量販店の品物とは使い勝手は変わらない。
食べ物だって虎屋の羊羹、空也の最中、前川の鰻、麻布十番の更科、などと
とにかく「これにかぎる」という言葉は絶対的なブランドの価値に違いない。
落語の目黒のサンマで殿様いわく「サンマは目黒にかぎる」とオチがついた。
今でも時期になると目黒の魚屋はサンマが大売れだという。