隠居の独り言(325)

今が生活出来るのは先祖があってのことだが自分の祖をこのほど調べてみた。
戦前の戸籍簿には右上欄に身分制度が記されていて華族、士族、平民、他、と
四段階の区別に分けられていた。明治の初めの廃藩置県身分制度が廃止され
四民平等になったはずなのに戸籍上に残されていたのは司法の手落ちだろう。
就職や結婚など大いに影響があったに違いなく現在でも問題視する人もいる。
戦後間もなくの頃に運転免許の取得の時に戸籍謄本を故郷の姫路市役所から
取り寄せたら右上欄に「士族」と書かれて、その上から×印の筆跡があった。
戦後の混乱期に役所も戸籍簿の整理は間に合わず×印で済ませたに違いない。
父は士族の生まれを誇りに思い子供の頃に実家へ行った時は床の間にあった
先祖伝来の甲冑刀剣を前にして本家の成り立ちから昔からの武士の習わしや
暮らしぶり、行儀作法など祖先崇拝、忠孝尊重、長幼序列、家門中心の儒教
思想を充分に聞かされたし家系図の屏風もあり先祖の名前も暗誦させられた。
子供には退屈なものだったが今となってはあれも勉強術の一つと思っている。
甲冑刀剣類や屏風は惜しくも戦火で焼けてしまったが教えられた数々の事は
今もおぼろに覚えている。何年か前から暇を見つけては、祖先の歩いた道を
訪ねているが、家の祖は15世紀初期に北條早雲が関東で旗揚げをした頃から
どうやら見えてきて関東の小豪族の出身らしく平安時代に徒党した武蔵七党、
(横山、猪俣、村山、児玉、西、野興、丹)の横山党をもって始祖としたい。
それ以前の祖は小野皇の一族で吉兼、盛兼など「兼」の名が多く祖の屋号の
“光”カネミツに通じている。武蔵七党と連合していた頃は南多摩郡横山庄を
本拠としていた(現八王子市横山町)。今でも東京都府中には小野神社があり
横山氏を呼称した小野隆康が氏神として創祀されている。当時は日本の中世の
時代で中央の京都の権力は弱く室町幕府の後半には群雄割拠の世の中になって
豪族間の争いは激しく結束や同盟を誤れば一族郎党は路頭に迷い命さへ危うく
祖が経験した苦労は察するにあまりある。  明日に続く・・