隠居の独り言(328)

戦国時代の大名や公卿の女たちは姻戚、同盟、主従、人質など政治的に利用され
自らの趣向や感情は許されず、望みは抹殺されて政具のひとつに過ぎなかった。
織田信長濃姫豊臣秀吉淀君徳川家康の旭日姫などはその典型だがNHK
大河ドラマ風林火山」の諏訪の由布姫(柴本幸)も主家が滅びた以上は自決か
敵方の武田晴信市川亀治郎)の愛妾になる以外は残された道は無かったろう。
ドラマはあくまで由布姫の感情を表すために山本勘助内野聖陽)が策を用いて
逃がしてみたり盗賊に襲わせたりしているが実際はそんなものではないと思う。
領土領民を治めるには“わな”が必要だが武田晴信にしては占領したばかりの
諏訪をなだめるには由布姫の存在が何よりの宝物で、まして血の繋がりを持つ
メリットは大きいものであったに違いない。戦国大名が覇権を広げていく過程で
織田信長のように非道に相手を抹殺していくケースと武田晴信のように政治的な
正義を名分にしていくケースがあるが、善悪はともかくも自我を通す専制者には
変わりない。女の立場も同じで勝者の三条夫人(池脇千鶴)は内心は嬉しかった
だろうし、敗れた諏訪頼重の妻の禰々(桜井幸子)はその子を強引に離された。
禰々がたとえ武田晴信の兄妹でも親子の愛情は戦いの道具のひとつに過ぎない。
悲しいかな、人間はいくら正義ぶっても強くなくては幸せにはなれない。ほんの
少しの才能や技能があっても「運」に引きずられて思わぬ世間歩きをさせられる。
寅王丸という幼児を武田の旗印にしなくていけない滑稽さは現代でこそ笑えるが
戦国時代の大義名分とはそう云う物かも知れない。後の関が原合戦の時の西軍が
幼少の豊臣秀頼を戦線の旗頭にしていたら東軍の徳川家康は滅び日本史は変った。
智謀と勇気と運に恵まれた者だけが勝者の栄冠を得た。