北斎通り

harimaya2007-05-01

両国から錦糸町まで京葉道路から北に
一本入った広い通りは北斎通りという。
葛飾北斎がこの辺りに生まれた由来で
平成に入って道路の名前が付けられた。
江戸時代は火事が多く下町には防火の
ために道を広く取り中央には割下水と
称する水路が掘られ四通八達していた。
そのうちの、ここは本所南割下水だが
北斎通りの埋め立てられる前の情景は
道路の中央の開鑿された水路で子供が
遊び女たちはその水で洗濯をしていた。
隅田川を基点に横十間川、六間堀にも
通じていた。昔の映画華やかなりし頃「旗本退屈男」で市川歌右衛門が名乗ったのは
「本所南割下水、旗本寄合早乙女主水介」で旗本が多く住んでいたのを物語っている。