隠居の独り言(381)

私などの、どこぞの馬の骨は先祖を辿っても名門とか立派な家柄は出てこないが
鎌倉幕府や後の室町幕府は全国の国単位の武家の職制で、行政官や指揮官に
あたる守護役を任命して幕府の指揮下に地方を統一してきた。けれど地方に
赴いた守護たちは徐々に力を付けて中央政府に刃向かうようになっていく、
戦国時代の始まりはこうして起こったが守護といえども力量が無いと家来に
乗っ取られ「下克上」の気運は日本全国を広まっていく。戦国時代に入って
各地に興った出来星大名によって全国60余州の守護大名は殆どが没落した。
多少とも実力を保持したのは薩摩の島津氏、豊前の大友氏、駿河の今川氏、
常陸の佐竹氏、それに甲斐の武田氏だけで、その辺りは途中からで出てきて
戦国時代を終わらせた織田、豊臣、徳川などどこの馬の骨だか分からないが
鎌倉以来の武家の名門の家柄として現在まで続いているは島津家一軒だけに
過ぎない。いかに栄枯盛衰が激しかったか源平時代から現代までの日本史は
氏素性の変遷を見ても分かるが、後に江戸時代になって人口の9割を占める
百姓町人は苗字を名乗る事は許されなかったから、私たちのルーツの殆どは
分からずじまいの家系図だ。NHK大河ドラマ風林火山」の主役格での
武田晴信市川亀治郎)は守護として武家の棟梁としては名門で、好敵手の
越後の長尾影虎(Gackt:ガクト)も元を質せば土地の土豪だが力を付けて
後に越後守護上杉定実から姓を譲り受けるのは苗字のブランドに拘泥したに
違いない。信長でさえ足利将軍の養子になって姓を名乗った時期もあった。
群雄割拠の時代は知恵の絞りあいで権謀術数の巧みな者が生き抜いていく。
山本勘助内野聖陽)は新兵器の鉄砲が将来の戦の行方を左右すると見抜き、
産地である根来寺に出向いて鉄砲100挺の買い付けに成功する。何十年後に
武田勝頼長篠の合戦織田信長に武田騎馬軍団が3000挺の鉄砲を浴びて
惨敗したが勘助は草葉の陰で泣いただろう。