隠居の独り言(398)

子供の頃に読んだ猿飛佐助や霧隠才蔵等の「真田十勇士」の物語は血沸き胸躍る
痛快な豪傑や忍者の武勇伝だが、その基になる真田氏は信州上田地方の小豪族で
群雄割拠の時代に生き残るために、あらゆる知略と戦術を使って戦国時代から
徳川末期まで続いた家系は全国広しといえど稀にみるしたたかな大名であった。
真田幸隆佐々木蔵之介)は信濃真田郷の出身で隣郷の村上義清(永島敏行)と
常に緊張関係を持っていたために早くから武田晴信市川亀治郎)と主従関係で
よしみを通じていた。その武田の大軍の砥石崩れの敗北を見て真田は策を用いて
単独で一夜で砥石城を攻め落すが、どうして可能だったか今も謎とされている。
NHK大河ドラマの「風林火山」では、越後の長尾景虎Gackt:ガクト)から
九死に一生を得て戻ってきた山本勘助内野聖陽)が策を授けて砥石城陥落の
手助けをしたストーリーだが真偽のほどは分からない。いずれにしても堅城を
小兵力で落城させたことは、後に作られた講談のセリフや小説の逸話の種には
絶好の材料となる。真田幸隆の功は当時の活躍以上に江戸から現代に至るまで
少年達に夢を与えてくれた業績は素晴らしい。その息子の昌幸は二度にも亘る
徳川家康の上田攻めを凌いだし関が原の合戦では徳川秀忠軍の到着を遅れさせ、
孫の幸村は大阪夏の陣で家康を窮地に追い込む活躍をしたのは周知の通りだが
真田の六文銭の名は戦国時代を語るうえで欠かせない存在となっている。
とまれ少年時代のチャンバラのヒーローの真田のルーツを見る思いで楽しかった。