隠居の独り言(402)

私は丁稚小僧上がりの人間で、といって学歴にヒガミを持っているわけではない。
誰も家庭環境が違うし時代背景も重なって思うようにならないのは人生の常だ。
学校へ通う時間が少なくても違う得難い体験をさせてもらったし机上の勉強より
社会のからくりを多く見たのは高年になってよかったと過去の自分を振り返る。
小学高学年の辺りから戦争末期に入って勉強より食糧増産が緊急課題で学校の
校庭は芋畑に化し毎日を近くの山の斜面を開墾する事が小学生の学習でもあった。
戦後の物資の不足も深刻で二年間の高等小学校に入ったが教科書もロクに無く
わら半紙にガリバン刷りで、その作業に全員が明け暮れて肝心の授業の時間が
取れなかった。最悪の教育現場は不登校の生徒も多くある者は家の農作業をし
ある者は近所の小工場で働いた。当時の義務教育は小学校までで多くの子供は
卒業を待って働くのが一般的な社会の断片でもあった。子供心に子沢山の家庭は
経済的な困窮も知っていたし働きに出て家に仕送るのが親孝行だとも思っていた。
それを父に話すと一喝された「お前はお前の道を進むのが、ほんとうの親孝行だ」
自分が子供を持って初めて気付いたものは子供が幸せに暮らす事が最高の親孝行!
親思う心にまさる親心、吉田松陰の言葉は今更のように胸に沁みるが今月は父の
誕生月で生きていれば96歳の誕生の祝いが出来たのに月日は無常に流れていく。
15歳で上京し丁稚小僧として奉公したが数えれば中学1年生で現代の子供では
とても耐えられないだろう。戦後間もなくの頃の慣習に昔からの徒弟関係が残り
丁稚小僧は店に住み込んで親方夫婦や先輩から様々な専門作業、商取引、行儀作法、
上下関係など朝早くから夜遅くまで教えられ休日も月に一日、給与も小遣い程度の
少ないものだったが小僧生活も今に思えばいい経験をさせてくれたと感謝している。
苦労の味は噛むほどに美味しい。