隠居の独り言(414)

「年金暮らし」とは老後の生活のひとつだが、それすらも出来ない老人の多さよ。
一人の帽子職人のAさんの履歴を紹介する。Aさんは戦後間もなく故郷の茨城を
15歳で上京して帽子職人の家で住み込み、丁稚奉公の修業し腕を磨いて、同じく
働いていた女工さんと30歳で結婚をして独立、小さな路地裏の家を借りミシンや
縫製に使う道具を揃えて親方から仕事を貰い奥さんと二人で朝は早く夜は遅くまで
休日も殆ど無く働き通した。やがて子供二人にも恵まれたが赤子を背負いながらも
ミシンに座り忙しい時は学校の行事にも参加出来なかった。それでも路地の小さな
マイホームを買い若い時分は忙しさの中にもささやかな幸せを体験した職人夫婦の
生活だったが数十年の歳月が流れて気が付けば子供たちは家を出て老夫婦が残る。
Aさんは現在68歳、奥さんは63歳、国民年金の給付金はAさんの約6万円強と
働いた工賃で暮らしている。寄る年波には勝てず働きも鈍り時間も短縮して賃金は
減るばかりで何年続けられるか分からない。先日もふとした怪我で一ヶ月も休む
羽目になってしまった。無論その間は、賃金はゼロで逆に治療費が出費となって
生活にもろに響いてくる。帽子の工賃は200-500円ぐらいで一日の生産量は二人で
30-50個ぐらいだが季節的な要素があるので一年を通して仕事が有るとは限らない。
歳を取っての怪我、病気は収入の途絶えと治療費が重なり普通の生活も覚束ない。
それが国民年金の実態だ。退職金も無いあらゆる産業の職人の力は技術王国日本の
縁の下の力持ちで手に覚えた彼らの匠の腕が無ければ今の繁栄は考えられない。
それに報う事をしない何とつれない政治の政策なのだろう。政治の年金政策論議
何かピントが外れているが、よく口にする「日の当たらないところ」を見て欲しい。
「年金暮らし」をしている方々に言いたいのは年金の不公平さと我慢に耐えている
多くの人の苦しみを少しでも分かってあげて欲しい。