隠居の独り言(433)

戦中や戦後の食糧事情は、あの頃を生きた人でないと体感的には分からないと思う。
農家の人はいざ知らず普通に町に暮らす庶民は米や芋などは貴重な贅沢品のようで
滅多に口にする事も無かった。戦後間もなく亡くなった祖母も白いご飯が食べたいと
口癖のように話していたけれども願いは遂に叶えてあげられなかった。あの悔しさは
思い出す度に涙が出るが、今は毎朝の白いメシと味噌汁で幸せを充分に感じている。
幸せの尺度はその人によって違うものだが何をしても感じない人もいる。感じる事は
感じるのだが、例えば自分に充分のお金があっても奢ってもらう事に喜びを感じて
200回以上のゴルフ接待、韓国クラブ、焼き肉屋、賭け麻雀その他、調べれば続々と
出てくるだろうが贈賄の臭いに溜息が出てくる。感受性の容れ物が庶民と大きく違う。
防衛省守屋武昌事務次官はなんと自分勝手な男なのだろうか。どのような
家庭に生まれどのように育ったのかは知る由ないがタカルことが別に恥ずかしい
行為だとは思っていないらしい。ひとくち言葉を発すれば接待が待っているのが
当たり前だと思っている人に税金を払っている納税者の痛みを察する感情は無い。
防衛省事務次官にまで出世して自分ほどえらいヤツはいない、と考えている彼に
驕慢な奴だと叫んでみても彼の耳には届く事は無いだろう。人の欲望はキリが無いが
官僚のトップにまで出世すれば、わが人生万歳ではないか。名誉ある人生の撤退を
すれば悠々自適な生活が待っていたものを醜い欲望という魔物に食われてしまった。
花の無い、つまり資質の無い人間に防衛省を任せた政治家にも責任は大きい。