隠居の独り言(440)

古くから京都に住む人は「こないだの戦争で・・」と口にするときは先の
太平洋戦争でも日露戦争でもなく室町時代後期の応仁の乱を差すらしい。
芝居でいえばその応仁の乱が戦国時代の幕開けだが一世紀を超えた数々の
ドラマがあって戦国の最終幕は桶狭間に始まり大阪夏の陣で幕引きとなる。
桶狭間ほど日本の歴史を大きく変えた合戦は無いといっても過言ではない。
上洛のため三万とも四万とも云われる軍勢を従えた今川義元谷原章介)が
隣国尾張の小大名の織田信長に僅かの兵で奇襲を受けて命を落とす、という
信じられないような事件が起きた。当時の評判では信長は愚か者とも言われ
義元はタカをくくっていた。狭い地形と折からの雷雨のせいがあったにせよ
桶狭間の戦いは義元の少しの油断により織田信長が一挙にその名を日本中に
知らせた事件で信長はその後、天下人への階段を登りつめて安土桃山時代
幕が開ける。そこへくると川中島の合戦桶狭間より軍勢や規模は壮大だが
所詮は地方の局地戦に過ぎず当時の日本全土やその後の歴史に与える影響は
今川義元が滅んだ事のほうが遥かに大きかった。歴史は運と偶然が絡むのは
古今東西の常だがNHK大河ドラマ風林火山」では織田方が桶狭間の地を
盛んに調べているのを知った山本勘助内野聖陽)が今川方にそれを告げて
上洛の進路に桶狭間を通らないように勧めるが勘助を毛嫌いする義元は彼の
勧告とは逆に桶狭間方面へと軍馬を進めてあえなく命を落とす運命になって
勘助がこの合戦にも関与した事になっている。武田信玄市川亀治郎)には
南の駿河の脅威が無くなり、北の越後の上杉謙信Gackt:ガクト)に対して
100%の力を発揮する事が出来る絶好の機会と、愈々合戦のクライマックスの
第四回目の川中島の戦いの気運が盛り上がっていく。