隠居の独り言(444)

孫の幼稚園の送り迎えをしているが先生に園児たちは「おはようございます」
「さようなら」と可愛い両手を揃えて丁寧に頭を下げる。見ていて気持ちの
いいものだが幼児期に教えられたこの素晴らしいお辞儀と挨拶の習慣も何故か
大人になると忘れたかのように気持ちが疎遠になっていくのはとても寂しい。
ときどき思うのだがお辞儀の仕方は易しいようで、なかなか奥の深いものだ。
お辞儀をするときは身体をのばし両足を揃え相手の目を見てお礼の言葉を添え
頭を下げる。頭だけがっくりと下げない、背中と首筋が一直線になっている事、
頭を下げながらモノを言わない、上位の者より下位が時間を掛ける、等々だが
簡単なようでお辞儀一つが人の下品と上品の分かれ目を表わしている気がする。
陛下のお辞儀が美しいのは学問を積まれ人知を超えた貴いお人柄があるからで、
真似の出来るものではないが自分を深く耕かした人ほどお辞儀が見事だと思う。
挨拶とお辞儀は社会に生きるための基本の一つで作法の形振(なりふり)だが
自然に身に付いた形振の良い人は美意識がいつも働いているということだろう。
人間の動作には「型」が必要だ。「型」を無視した動作にはエネルギーのロスが
生じて不自然なものになってしまう。座る、歩く、走るといった簡単な動作でも
自然な「型」でないと思わない怪我をすることがある。お辞儀に怪我はなくても
自然に相手を敬う気持ちが込められていたら美しい動作に結びつくのではないか。
幼い頃の心と動作に戻りたい。