隠居の独り言(453)

「鞭聲粛々夜河を過る、暁に見る千兵の大牙を擁するを、遺恨十年一剣を磨き、
流星光底長蛇を逸す」江戸後期の儒者頼山陽は「日本外史」の中で謙信を詠う。
詩は上杉軍がひっそりと鞭音も立てない様にして夜の内に千曲川を渡って川中島
武田陣に攻め寄せ信玄と一騎打ちしたが討ち取る事が出来なかった場景が詠われた。
戦国時代も時たけなわで、尾張織田信長駿河今川義元桶狭間で奇跡的な
勝利を得た翌年の永禄4年(1561)の初秋の頃、信州川中島では「甲斐の虎」と称す
武田信玄市川亀治郎)と「越後の龍」と称された上杉謙信Gackt:ガクト)の
両雄が一歩も譲らず、睨み合い身じろぎもできないほどの緊張感に包まれている。
NHK大河ドラマ風林火山は最終編のクライマックスのラストシーンが始まった。
武田軍団は信玄を頭に副将・武田信繁嘉島典俊)、四名臣の馬場信春高橋和也
香坂虎綱(田中幸太朗)、飯富虎昌(金田明夫)、山県昌景前川泰之)、智謀の将
真田幸隆(佐々木蔵之助)そして軍師・山本勘助内野聖陽)と従う兵、約二万人。
対する上杉軍団は謙信を頭に猛将・柿崎景家金田賢一)、直江実綱(西岡徳間)、
甘粕長重、長尾政景、大熊朝秀、そして軍師・宇佐美定満緒形拳)兵、約二万人。
名将たちの名を列挙するだけでも手に汗する思いだが、戦国時代は川中島の戦い
無くして語れない。戦国最強の二つの軍団は互いの意地をかけて遂に雌雄を決すべく
戦略、戦術の粋と人知の限りを尽くした死闘を繰り広げ当時の日本中の大名たちを
畏怖させ、後世にまで語り継がれることになる。戦いは武田軍の軍師・山本勘助
提案した啄木鳥の陣形で軍を二手に分け山の上の上杉軍を追い落として挟み撃ちに
撃破するべく本陣へ別働隊が赴いたが、上杉の軍師・宇佐美定満は作戦を見抜いて
軍団を山から撤退させ本陣をモヌケの殻にして、兵数の減った武田の本陣めがけて
上杉軍団は熾烈な総攻撃を加え、武田信繁、諸角虎定が戦死、本陣も崩れはじまる。