隠居の独り言(507)

維新前には武家以上の家柄の人は年齢や役柄その他の理由で名前を変えた。
豊臣秀吉も日吉丸→木下藤吉郎羽柴秀吉→関白→太閤というように・・
人の名前にナノリというのがあって公卿や武家の男子が元服後に通称以外に
名乗る実名のことらしい。例えば西郷隆盛小澤征悦)の通称のはじめは
吉兵衛と言い、のちに吉之助と改めたが、維新後の名前を正式に届けるとき
西郷隆盛とナノリをあげた。それは大久保利通原田泰造)も通称は一蔵で
小松帯刀瑛太)も通称が尚五郎だったことと同じだ。NHK大河ドラマ
篤姫」(宮崎あおい)の主人公も、今和泉家から島津斉彬高橋英樹)の
養女になり将軍家定の妻となったため名前は、一(かつ)→於一→篤子→
源の島津篤子→藤原の近衛敬子→将軍徳川家定御台所→家定(堺雅人)の
急死によって落飾し、以後は「天璋院」と名乗って生涯を遂げるが、数奇な
運命を辿る篤姫は将軍の妻の「格」を上げるために、当時の身分制度に従い
島津家の養女から実女として公卿の近衛家と養子縁組をし、公卿の子として
徳川家に嫁ぐというその都度、名前が変えられたもので当時に生きる人々の
名前に対する思いはどうだったのだろう。ドラマは篤姫がいよいよ徳川家定
に嫁ぐ為に江戸へ出立する日がやってくる。船に乗った篤姫は遠くに桜島
見つめながら「薩摩を思って泣くのはこれが最後」と幾島(松坂慶子)に誓い、
涙を流すシーンは感動的だ。おりしも3月は別れの季節で、ドラマの篤姫
ならずとも過ぎし日の感傷は誰もが胸をよぎることだろう。