隠居の独り言(511)

先週世界フィギュア浅田真央が優勝して表彰台に立った時、日の丸掲揚とともに
スエーデンの合唱団が日本語で君が代を歌うのを見たが、その企画に感動を覚えた。
今は卒業・入学のシーズンで、最近では君が代を歌わない、国旗を掲げさせないとの
日教組のゴタゴタは少なくなったが、それでも子供たちに国旗国歌の説明が少ない。
子供たちにも相撲の千秋楽の歌ぐらいにしか思っていない子も多いが、「君が代」が
そもそも国家として制定されたのは明治26年で、原曲は明治2年に薩摩藩の雇われ
軍楽隊長のイギリス人のフェントンが作曲した。後に日露戦争で大活躍した大山巌が、
得意の薩摩琵琶「蓬莱山」から「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、
苔のむすまで」と自分の名前が入った歌を選び、たまたま「古今集」にもこれと同じ
歌詞があって「これが良い」と推薦された。しかしフェントンの作曲は難しいので
明治9年に海軍軍楽隊の中村裕庸が「明治天皇陛下を祝する楽譜改訂の儀上申」なる
建白書を出して宮内庁式部寮雅楽部に作曲を依頼し宮内庁の林広栄が作曲したもので、
これに海軍省教官だったドイツ人のエッケルトが和音をつけて今の君が代が生まれた。
このように誕生の経緯が明確な記録が残されて、明治13年11月3日の天皇誕生日に、
明治天皇の御前で初めて演奏されている。「日の丸」も薩摩藩が1867年のフランスの
万博に出展した時に国の象徴たる国旗を日の丸で掲げているが奇しくも国歌と国旗は
薩摩藩が大きく関わったことになる。薩摩に関るNHK大河ドラマ篤姫」の物語は
京都の近衛忠熙春風亭小朝)、江戸の徳川家祥(堺雅人)、島津の英姫(余貴美子)、
などの人達に篤姫宮崎あおい)は思ってもみなかった展開や葛藤に戸惑うが、ここは
篤姫の心を試されるところで避けて通れない定めにますます自らを強めていく。