隠居の独り言(526)

5月3日の「憲法の日」は、護憲、改憲、と現憲法に対する議論が日本中を
駆け巡る。護憲派の人達は軍備や戦争の放棄を定めた九条の項目を変えると
日本が軍国主義に走り、いつか戦争を起こし再び戦火の惨状を招くと言う。
護憲派に問いたいが(自分も含めて)戦争であれだけ惨めな思いをしたのに
再び愚を犯す阿呆な日本人なのだろうか。軍備を持つことは戦争行為よりも
外交交渉のバックであり現在の日本の弱気の対外政策もここに起因している。
私は以前から改憲派だ。九条の軍備の権利の問題も含めて憲法というものは、
その時々の諸事情に合わせて改定すればいいのであって、半世紀以上も前に
GHQから与えられた古い時代の現憲法金科玉条のように守っているのが
果たしていいのだろうか。進駐軍の親分マッカーサーが日本人の精神年齢は
12歳程度と馬鹿にされて押し付けられた英語の原文の憲法でいいのだろうか。
私達の住む家だって洋服だって時が経てば傷んで修理もしくは新しいものに
取り替えなくては進歩もない。それに日本も世界も日々情勢は変わっていく。
九条の事はさて置いても、前文は分かり易い美しい日本語で表わすべきだし
国際協調路線をしっかりと明記し、有事とかの非常事態への対応もきちんと
規定した文章を書き国民の生命・財産が危機に際しての対処の法制が欲しい。
憲法が出来た半世紀以上前よりも格段の高度情報化時代に入っているので
プライバシー権や、知る権利などに加え、犯罪被害者の権利、環境保全義務、
その他、憲法の規定の基本的人権から、はみ出して個人主義が正確に理解せず
利己主義的な側面を強調された結果からか国家や社会のことを顧みない風潮が
はびこり勝手な自由がまかり通っている、つまり優先する公共の精神があって
いいのではないか。国会だって似たような衆院参院はこのままでいいのか、
二院制そのものを検討する必要があるし人数も多すぎて問題になっている。
裁判所のあり方、中央と地方のあり方、教育のあり方、憲法改正のあり方、等
誰も考えが違うので国の根幹たる憲法も民意の完璧なものは出来るはずがない。
たとえば10年くらいの時限立法にしてその時々の世間の動きに沿って変える
柔軟性が望まれる。そして日本人の日本人による日本人のための憲法でありたい。