2008-05-07 皇居東御苑Ⅲ 最も標高が高いのは天守閣跡の石垣だが 城の象徴の天守が完成して僅か19年の 1657年に起きた明暦の大火は二日間で 本丸、二の丸、天守閣をはじめ江戸城の 大半は焼失して江戸市民10万人以上が 命を落とす大惨事になった。幕府は町の 救済にあたり、同時に町割りを一変して 道路を広げ、藁葺屋根を禁じ火災に強い 街づくりを行なった。天守閣再建もその 費用で取りやめる事になったのは、時の 後見役の保科正之の意見で、江戸時代の天下泰平の世の中には天守閣も無用と主張し 再び建てられることはなかった。なお玉川上水も彼の発案で建設が行なわれている。