隠居の独り言(556)

現在、日本橋高島屋8階ホールでは「篤姫展」が催されているがドラマの
オープニングを彩るタイトルバックの説明や撮影に使われた衣装や小道具など
展示されてとても参考になる。テーマで薩摩切子のビードロが舞っているのは
かつて島津斉彬高橋英樹)が薩摩藩の莫大な借財を立て直すために切子の
江戸の職人を招くなどして苦労を重ね薩摩の名品にまで仕上げた事を物語る。
産業の振興とともに斉彬もその製品を愛し、諸大名への贈り物にも用いられ、
その美しく散る様は薩摩を大きく変えた名君の去っていく模様なのだろう。
斉彬が藩主を務めたのは僅か7年の間だけだが、黒船の到来などで日本が
大きく曲がり角に差し掛かった時、いち早く藩の富国強兵や産業の振興を
進めて、洋式造船、反射炉溶鉱炉の建設など将来の維新の原動力になる
基礎を作った傑物であり、その世界観は当時の大名たちを抜きんでていた。
後に活躍する小松帯刀瑛太)や西郷隆盛小澤征悦)たちの事実上の師匠で
維新から明治にかけての政治形態の原点は斉彬であったと言って過言でない。
その斉彬が、このほど起こした行動は井伊直弼中村梅雀)が大老に就いて
次の将軍は紀州の慶福(松田翔太)と決まったことに抗議するため薩摩藩兵の
5000人を率いて上洛する計画を実行する矢先に急死してしまう。享年50歳。
そのあまりにも急な死は父の斉興(長門裕之)弟の久光(山口祐一郎)や
紀州派の暗殺説も疑われたが現在も真相は分からない。かたや江戸城では
斉彬の死と前後するかのように篤姫宮崎あおい)の夫たる13代将軍家定
堺雅人)が、持病の脚気のために34歳の若さでこの世を去ってしまう。
家定は黒船到来という幕府にとって空前絶後の難局の中の5年間を務めたが
将軍として一度も指導力を発揮すること無く生涯を終えた。篤姫にとって
安政5年の夏は僅か一ヶ月のうちに尊敬する父と愛した夫を失った気持ちが
どれほどのものであったか、想像にあまりある。斉彬の死は日本の幕開けの
マイナスであったし、家定の死は紀州派の大老井伊直弼の強権政治を招き
歴史的なマイナスは計りしれない。