隠居の独り言(580)

太平洋戦争末期には大学生の中にも学徒動員の特攻隊で散った生徒もいたし
成人に達しない中小学校の生徒たちも竹やりを持って来るべきアメリカ軍の
本土上陸に備えて鍛錬に勤しんでいた。信ずるとは恐ろしいもので、やがて
神風がやってきて敵海軍を沈め、上陸したアメリカ兵は竹やりで皆殺しだと
本気で信じていた。今思えば幼稚で滑稽なカップの中の嵐のようなものだが、
幕末の志士達の合言葉の攘夷とは神風信仰のようなもので世界を知らない、
知ろうともしない低次元の燃えたぎった思想だった。朝廷はあくまで権威を
保つために夷敵を寄せ付けなく出来るものだと素直に信じ、その朝廷を奉り
守りぬくには異国と戦うべしと主張するのが尊皇攘夷の旗印として志士達の
金科玉条であった。NHK大河ドラマ篤姫」の「薩摩か徳川か」は幕末の
胎動の時期で、いよいよ薩摩の島津久光山口祐一郎)が数千の兵を率いて、
ついに動き出した。朝廷に幕政改革の勅諚を得て幕府に迫ろうというのだが
久光の今は攘夷の気分があって公武合体が目的であり倒幕とまではいかない。
京都の定宿で起きた「寺田屋事件」は今も原因が分からないところが多いが
有馬(的場浩司)を中心とした尊王攘夷派は突出にむけて動き始めていた。
それに説得を試みる帯刀(瑛太)と大久保(原田泰造)であったが失敗し、
有馬たち強硬派の志士たちは壮絶な最後を遂げる。寺田屋は今でも現存して
坂本竜馬玉木宏)の遭難事件など幕末の所縁の多い宿場は当時を偲ばせる。
一方、江戸城では大奥内の江戸方と京都方の対立は依然として続いていたが、
和宮堀北真希)と家茂(松田翔太)の仲は良く、天璋院宮崎あおい)は
安堵していた。そこへ薩摩の軍隊が勅使を伴い江戸へ向かうとの報せが入り、
天璋院が影で糸を引いているのではとの疑惑が膨らむ・・・最も強力だと
信じられていた徳川家が僅か数千の薩摩の江戸入りに怯え、その薩摩も
西郷(小澤征悦)の離反や寺田屋の造反など幕藩体制が揺らぎ始めていた。