隠居の独り言(589)

原作者・宮尾登美子に言わせれば篤姫については関西と関東では見方が違うらしい。
関西の見方は将軍家茂の嫁である和宮をいじめた意地悪な姑のイメージが強いのだが
和宮孝明天皇の妹君で京都生まれの人だからで昔も今も変わらない嫁と姑の宿命だ。
関東の見方は和宮はわがままで天皇の妹君であることを笠に着ていると散々の評判で
篤姫のほうに人気があるが大河ドラマでは題名的にどちらかというと関東の見方で
しかも言葉や雰囲気も視聴者を意識して現代的に描かれているが真偽は分からない。
家定(堺雅人)だって愚純だったか思慮分別があったか風評のみで真偽は闇の中だ。
歴史は年月とともに風化され定説のみが筋書きになっていくようだが見方を変えれば
原作者の想像力と気持ち次第で作風を持てるのは作家冥利に尽きるというものだろう。
閑話休題薩摩藩が薩英戦争で忙殺されていたその時、京都では異変が起きていた。
長州の尊皇攘夷派は朝廷に仕える公卿の急進派たちと結び長州藩は我が物顔に京都を
牛耳っていた。会津や薩摩を圧倒していた長州は倒幕の試みとして天皇の大和行幸
目論むが、孝明天皇東儀秀樹)が倒幕実行を知って激怒し三条実美をはじめとする
七人の急進派公卿の官位を取り上げて京都から長州藩とともに追放するが、いわゆる
「七卿の都落ち」の事件が起きる。ドラマでは上洛中の家茂(松田翔太)が長州等の
過激派によって窮地に立たされ病に倒れるが、家茂の上洛を後押しした事を後悔する
天璋院宮崎あおい)は和宮堀北真希)に兄である孝明天皇に頼んで家茂が江戸に
帰還できるよう計ってほしいと願う。しかし和宮はかたくなにそれを拒否、天璋院
病に伏す家茂に勝燐太郎(北大路欣也)を派遣するが勝と会った家茂はその開明的な
考えに触れて少し明るさを取り戻す。そんな中で愈々長州藩が攘夷を決行しはじめる。
そのとき既に島津久光山口祐一郎)や小松帯刀瑛太)は公武合体すなわち朝廷と
幕府が協力して事に当るのを考えていた。