隠居の独り言(598)

ドラマ「篤姫」から、少しそれるが小松帯刀瑛太)と琴仙子(原田夏希)の
出会いは、近衛邸に公武合体派の公卿・諸侯が集まった祝宴の席で、年の暮れの
こともあって祇園の名妓達が招かれていた。芸妓や舞妓は京都の花であり宴席に
欠かせない存在であったが、その中に当時16歳だった琴仙子が含まれていた。
後年の写真があるが非常に美しく、花の盛りには群を抜いていたに違いない。
琴仙子は厳しい芸妓の修行で琴、三味線、踊り、和歌、古今の書物、絵画など
教養をすべて習得していた。帯刀が見染めて身請けし小松藩邸に住まわせたのは
愛の芽生えとともに来訪者の接待と、そこから得る幕府の役人の動静や志士達の
情報を受け持つ役割も兼ねていた。やがて琴仙子は帯刀とのあいだに跡継ぎの
安千代と娘・スミを儲け、帯刀が亡くなる明治3年の床まで献身的に仕えた。
そして帯刀の死を追うように4年後に26歳の若さで世を去っている。今は
鹿児島の小松家の墓に一緒に葬られているが正室・お近の寛大な計らいだった。
話しがそれた。江戸時代の国民病といえば結核脚気の二つだが当時は原因が
分らず死病と恐れられた。上流階級には精米された白米を食べる習慣が普及し
大名・富商などの裕福な階層に脚気の患者が多かったが、家茂(松田翔太)も
例外ではない。長州征伐のため大阪城にいる将軍家茂には敗戦を知らされる事なく
重症の脚気で伏せていたが京都にいた一橋慶喜平岳大)にも伝えられなかった。
天璋院宮崎あおい)と和宮堀北真希)は出陣の家茂の無事を祈るのみだった。
一方、坂本龍馬玉木宏)は京都の寺田屋で幕府の役人に襲われ傷を負って逃げ、
妻・お龍(市川実日子)をかくまうため、帯刀は薩摩へと案内していた。竜馬と
お龍の旅は日本で初の新婚旅行との逸話もあるが、そのとき撮った竜馬の写真は
有名だが右手を懐に入れているのは手傷のためという。そのころ大奥には家茂が
病で倒れたとの知らせが伝わった。天璋院和宮は唐橋(高橋由美子)の勧めで
家茂の元に漢方医を派遣するが甲斐なく家茂は再び江戸へ帰ることなく無念にも
大阪城で客死する。享年21歳。