隠居の独り言(621)

大本営発表「12月8日未明、帝国陸海軍は西太平洋上に於いて米英両軍と
戦闘状態に入れり」大阪市西成区岸里小学校に通っていた2年生の少年は
早朝ラジオでニュースを聞き、来るべきものが来た思いを痛切に感じた。
あの日から67年の歳月が流れたが昨日の如く思い出すくらい強烈だった。
2年生といえば8歳だが、物心がついて少年から大人になっていく過程で
今でも記憶がはっきりと甦るのは誰もがこの辺りの年齢からなのだろう。
出征兵士の見送り、支那事変のニュース、物が徐々に不足していく生活も
子供心に緊張感があったし世間が大きく揺れているのが分かる気がした。
当時のラジオの放送は、1時間ごとに5分〜10分だけの途切れたもので
その殆どがニュース、天気予報、株式相場、地域の生活等々が多く流され
娯楽番組は夜の8時頃に歌謡曲浪曲が1時間ほど楽しむことが出来たが
戦争の悪化とともに天気予報は敵に知られる理由で廃止され、娯楽番組も
戦争を煽る軍国歌謡ばかりが流れていた。純真な気持ちで軍国少年だった
自分には軍歌を覚えることが日本人の誇りと米英への敵愾心を駆り立てる
意気込みであった。父よあなたは強かった、月月火水木金金愛国行進曲
若鷲の歌、進め一億火の玉だ、出征兵士を送る歌、愛馬進軍歌、麦と兵隊
思い出せばキリが無い。緒戦の日本軍は破竹の勢いで米英蘭仏の連合軍を
僅か半年間で東南アジアから追い出した。歴史にタラレバは通用しないが
1942年2月15日にイギリスの統治領だったシンガポールを占領したとき
連合軍から和平の話があったと聞くが、そこで手を打っていればよかった。
予想外の緒戦快進撃で日本は有頂天だった。一瞬のチャンスを見る余裕も
聞く耳も持ち合わせていなかった。何十倍の国力を持っているアメリカと
戦って勝てると軍部は思っていたのだろうか。そんなに阿呆だったのか。
昭和の初期に国連脱退、満州事変、日独同盟、日米交渉決裂等々何もかも
先の読めない発作的な愚かさだが戦争を回避する手段が幾つもあったのに
軍部の意地の突っ張りが暴走させた。戦争の反省とは負けた惨状ではなく、
なぜ戦争に嵌まり込んでいったのか、その史実を忘れてはならないと思う。
歴史認識とは当時の日本と世界の関係を客観的に見る事から始まる。