隠居の独り言(626)

今年2008年は後期高齢者となった年だが、鏡で自分の顔をしげしげと見ると
「俺も随分と老いたなぁ・」と老いの人生の悲哀をつくづくと感じる昨今だ。
呼称も孫たちは「ジージー」で、ヤマノカミや子等は「おじいちゃん」と呼び
まぁ仕方ないかと諦めている。孫を連れて公園で遊んでいると若いお母さんが
「○○ちゃんはお爺ちゃんと仲良しね・」と言われて、いい気分になれるのは
「爺」が身に付いてしまったか。何年か前まで人に爺さん呼ばわりされるのは
抵抗があったのに最近は普通に受け止められるのも、それ相応の老いの諦めか。
人への呼び方といえば以前は知らない人にも「おじさん、おばさん、お爺さん、
お婆さん」と呼びかけていたものだが最近では誰に対しても「すみません」と
謝っているみたいな言葉が最初に入るのは言葉の乱れとしか言いようがないが
考えられる理由の一つにどこまでが「おねえさん」でどこまでが「おばさん」で
どこまでが「おばあさん」なのか分からないのでグレーゾーンの年恰好の人には
「すみません」が無難だろう。以前の女性も若く結婚して赤子を負ぶっていると
近所の子供に「おばさん!」と呼びかけられてショックだった話しはまま聞くが
女性の心理は微妙なのだろう。今も女性に年齢を聞くのは失礼にあたるという。
いつまでも若くありたい気持ちは分からなくもないが何時も素敵に生きる女性は
素敵に老いていく。時おり美しい老婦人を見かけるが、何気ない気品の備わりは
中身の濃い人生を感じさせ、花のある人とはこのような方を指すものと感じる。
女性に限らず男も美しく老いたいが、せめて老人特有の頑固だけは避けたいもの、
人に「おじいさん」と呼ばれても笑顔で返せる余裕が欲しい。歳を重ねるごとに
格好、仕草、言葉、優しさなど課題も多くなっていくが、それを克服することも
若さを保つ要素ではないか、秋に亡くなった緒形拳は「70代も楽しいものだ」と
老いの楽しみを語っていたが肉体的な若さは戻らなくても心は「老紳士」として
有限のこれからを大切に過ごしたいと願っている。