隠居の独り言(643)

またも起きた幼児虐待事件は女性の母性本能はどこへいってしまったのか。
時々街で見かけるものに母親が子供を叱り付けている場面に出くわす事がある。
最悪なのは母親が逆上して幼い子供を怒鳴っているのは見ている立場としても
辛いものだが、子供にとって躾けの意味も知らない親に育てられるのは哀れだ。
幼児虐待とはキレル感情を子供にぶつけるものだが、母親として育てる資格が
無いばかりか、それほど子供が嫌いなら何故に産んだのか。女性は結婚をして
彼を愛する事と子供を愛する事がセットのはずなのにどこかが狂っている。
キレル親ばかりでなく最近の母親は子供が出来ると、たちまち「賢母」になり
子供にあれこれ教えようとする。「近所の人に挨拶しなさい」「ものを貰ったら
お礼を言いなさい」「相手と喧嘩をしてはいけません」等々の教えはご尤もで
シツケに心砕いているように見えても子供はちゃんと知っている。お母さんは
家の中では、お父さんが朝起きても「おはよう」も言わないし、人から何かを
貰っても、すぐに値踏みをする。まして子供の前の夫婦喧嘩は最悪でこれでは
「百の説法も屁一つ」だ。残念ながら今の母親には、このタイプが多いようで
自分の行動を棚に上げて、人間は口で教えれば良くなるものだ、という単純な
信仰みたいなものが母親の頭をよぎっている。躾けとは言葉でなく大切なのは
良き妻になることで家庭の中での、その第一条件を子供の前で実行していれば
おのずと躾けが備わっていくのではないか。それは夫にも当てはまることだが、
良き父親であろうとする前に良き夫であるのを求められるのは言うまでもない。
ともあれ家族がいい人間関係を保っている家庭はもうそれだけで理想の教育だ。
教育とは教と育の二文字だが、家庭でしなくてはならないのは「育」のほうで
赤子から成人するまでの20年を要する。一人の人間の性格を決定づけるのは
成人になるまでの過ごした家庭のあり方、つまり両親の生き方そのものと思う。