隠居の独り言(694)

三人寄れば二つの派閥が出来るという。政治の世界も自民と民主に分かれるが
意見の違いはこの世に生きる以上、それぞれの性格や好みが違うのは仕方ない。
例えばペットに安らぎを求める人の多くは大雑把だが犬派と猫派に分かれる。
孫達は犬を飼いたいと時々せがむが家の狭さやビルに囲まれた都会の事情など
そのうえ外出が多く仕事もあるので飼える環境ではない。それに犬は飼い主に
忠実すぎて切なくなってしまう。その点、猫は犬よりも不実で飼い主に対して
ニャーニャーと足元にすがりつくが自己中心なドライな性格で冬の寒い日など
自ら炬燵に潜り込むが飼い主が寒い時にいくら抱き寄せても逃げ出してしまう。
猫を可愛がっている人は、負け犬、犬侍、犬畜生の文字を見るとニンマリ笑う。
独立自尊の猫は主人にべたつかず、その辺りが女性の猫好きの多い所以だろう。
一方の犬派は猫を見ると、引っ掻く、ネコババ、猫なで声、化け猫を連想して
好きになれない。両派の言い分はそれなりで異を立てるつもりはないが中には
両方とも好きという結構な御仁もいらっしゃる。どちらにしても現代の犬猫は
飼い主に愛されて幸せだ。その昔、徳川3代将軍・綱吉は犬を大切にせよとの
お触れを出して犬公方と称されたが、その実情は野良犬は可哀想だと一箇所で
保護したが犬小屋が狭すぎて殆どの犬がストレスで狂い死にをしたというから
何のための政策だったか分からない。江戸市民にとっては野犬がいなくなって
喜んだというから犬には有難迷惑だった。市中の怖い犬が一掃され、その後に
やっと犬が可愛く思うようになったという。一方、江戸庶民は猫が好きだった。
和室に猫は実に絵になるし、どの家にもいた鼠を退治してくれて重宝された。
犬派でも猫派でも動物愛護の精神は他の生き物には無い人間味そのものだろう。