隠居の独り言(706)

戦後の一時期、中学に通う自分は兵庫県姫路市の町外れ(飾磨)に住んでいた。
当時の家は上下水道がなく井戸が唯一の水資源だが、その井戸水の有り難さは
夏は冷たく冬があたたかい。暑い日に外から帰って冷たい井戸水を飲んだ時の
喉を潤す爽快感は何事に変え難いし、冬は炊事や洗濯など適度に温かい水温は
寒さに荒んだ気持ちまで温めてくれた。夕方近くに課せられた仕事のひとつに
井戸の水を汲み上げて五右衛門風呂に入れる作業があったが夏は汗をかいた。
水の循環は、炊事、洗濯、風呂等の水の使い捨ては全て家の周りや畑に撒いて
地面に沁みていったし、水以外の廃棄物は食材を炊く釜戸で燃して灰になった。
食べ物の残りは犬猫が食べ、排泄物は田畑で土に還り、廃棄物は殆ど発生せず
無駄なく循環の構成が出来ていた。食糧難といえ勿体ないの心根を引き締めた。
報道によるとコンビニに並ぶ弁当やおにぎりは販売期限が近づくと捨てられる。
最大手のセブンイレブンの場合?店舗あたり年間約530万円にのぼるそうだが
なんとも勿体ない話と思う。それならそんなに作らなければいいのではないか!
たとえ品切れでもいいではないか!コンビニから弁当が消えても飢えはしない。
コンビニは氷山の一角だが日本は食料自給率が40%しかなく世界で最も多くの
食料を輸入している国が年間2000万トン(消費の一割)の食料品を廃棄処分に
なっている矛盾を何とかしないと今に罰が当たる。隣の国は核に夢中になって
一方で餓死者が年間何十万人も出しているというから施政者にも罰が当たる。
隣国のみならず世界で飢えに苦しむ人達が10億人以上もいるという。人間の
欲望に限りがないが富めるものと貧しきものの構造は人類史上殆ど変わらない。
飢餓状態は二度とあってはならないが飽食も度が過ぎると必ずそのツケが来る。
「人間が生きるためには少しの勇気と、少しのお金があればいい」チャップリン