隠居の独り言(707)

「しかと心得ました」「左様でござりまする」これは戦国期の武士言葉の例だが
室町時代以前の日本では人の往来がさほど無く、地方の人々は土地独特の言葉で
生活が成り立っていた。国を治める中央の施政者にとって法律の伝達や年貢等の
調達には共通語が必要で、在郷の武家たちに行儀作法や武家礼法を教えるために
中央から検非違使が派遣された。いわゆる室町言葉という標準語が浸透していく。
それでも守護大名や高級武士達がマツリゴトに一部を使うだけで一般的な生活は
土地の方言で暮らしていた。この時代は土地が違えば外からの者にとって方言は
解せずそれは外国語に等しいものだったに違いない。室町時代守護大名たちは
競って京都から教養人を招いて京文化や室町言葉を吸収する努力を重ねていたが
戦国初期には武家共通語の話せる人は、せいぜい守護大名や地頭たちだけだった。
時代が進み戦国時代に入ると合戦のため大勢の兵士やその家族が移動し、交易の
面でも人々の往来が盛んになっていくと共通の言葉が自然発生的に生まれていく・・
余談だが、日本中どこでも話しが通じるのは最近で、江戸の参勤交代で武士達が
江戸方言の影響を受け、その後、明治になって江戸の山の手の武家言葉と下町の
江戸弁を基に標準語が設けられた。例えば父母は武士言葉と父上母上と江戸弁の
オトー、オカーを取り入れて、お父さんお母さんの造語が出来たのも一つだが
人の行き来、国語の文章、新聞、ラジオ、TVなど影響が大きい。話がそれた。
先週の「天地人」で秀吉(笹野高史)に謁見のために上洛した景勝(北村一輝
兼続(妻夫木聡)の主従は室町言葉を知っていたのか、きちんと話を出来たのか、
もしかして通訳を入れたのか、今は不明だが当時の地方大名達は苦労しただろう。
TVドラマの時代劇は言葉の面では現代的なので、その辺りの詮索は止める。
今回は兼続の弟で、小国家へ婿に入り与七から名を改めた実頼(小泉孝太郎)の
物語だが、実頼は景勝の名代として聚楽第落成の祝いの使者となって上洛したが
秀吉(笹野高史)に謁見した際、官位を授かることからドラマは発展していく・・