隠居の独り言(751)

国のリーダーの判断がシモジモの庶民の生活に影響すること著しい。先の大戦
嫌というほど思い知らされたが、その昔17世紀初頭に起きた関が原の合戦後の
論功行賞も勝った側の東軍大名の領民は、以前とさほど生活は変わらなかったが
負けた側の西軍の領民は大名の滅亡や困窮や領地替えのため領民の年貢も上がり
新しい土地の開墾も命じられ身の辛い思いをさせられた。そもそも上杉の家臣は
秀吉や家康からの移封命令で越後から米沢にやってきたいわゆる進駐軍のようで
昔から土地に住んでいた人たちにとっては迷惑千万なことであったに違いない。
景勝(北村一輝)、兼続(妻夫木聡)など上杉軍団がやってくる前の米沢の人口が
移封により一挙に数倍になったというからドラマには描かれていないが、限られた
土地の奪い合いが行なわれたことだろう。関が原で勝った側の徳川家や東軍大名の
領地では江戸時代を通じて農民の年貢の率はだいたいが五公五民で比較的農民側も
暮らしやすかったが、西軍の生き残りの薩摩の島津や長州の毛利などの外様藩では
六公四民より厳しく農民から取り立てた藩もあったが上杉の米沢藩も例外ではなく
その法は江戸時代を通じて幕末まで続いた。東軍の家来たちは収入を保証されたが、
西軍の家来たちは一部の優れた侍を除いて取り潰された者も多く禄は取り上げられ
耕す土地も無く、無頼浪人となり狼藉を働くものも出て全国的に治安は悪化した。
武士達の二極分化と徳川・豊臣の争いが、やがて浪人達は大阪城目指して集まる。
NHK大河ドラマ天地人は関が原後5年を経て幕府は家康(松方弘樹)の嫡男の
秀忠(中川晃教)が将軍職を継ぎ諸大名が祝いに訪れ上杉も参じるよう命が届く。
諸大名が祝いに駆けつける中、そこに豊臣秀頼の姿はなかった。心配した高台院
このままでは豊臣家を滅ぼすことになりかねないと淀君深田恭子)に忠告する。
しかし天下の流れは変えがたく柿が熟して落ちるように豊臣家の滅亡劇は近い。