隠居の独り言(753)

豊臣家が滅び戦国時代も終わって徳川幕府が安定したなら普通、機能的に考えれば
侍達は解雇して帰農させるか別な仕事を与えて生産性を上げる事をするべきなのに
徳川家ひいては幕府を安定的に長持ちさせるため現状維持の戦時体制のままにした。
先祖代々長子相続で禄高は同じ、例えば門番を命じられれば昼夜を通し同じ仕事で
一生ウダも上がらず、よほどの事が無い限り飼い殺しの状態にした。時も変遷して
物価変動があっても石高収入は変わらず大名から下役人まで困窮を極めていった。
300年近くの政治の停滞は徳川家を守るためだけのものであり、幕府体制が守られ
その組織感覚は結果の良し悪しは別にして今に続く日本的な終身雇用制のルーツだ。
でも歴史的に見れば日本はそのために世界から自ら閉ざし文明の遅れを取ったのは
実に勿体なく悔しい。同じ時期に日本と同じ海洋国家のイギリスは世界に覇を求め
七つの海を征服し今でもその影響で英語が世界の共通語になっている事実を見ても、
いかに江戸幕府の政策は徳川の家系を維持するために私達日本人は300年をかけて
コビトにされたのか、家康の罪は大きすぎる。大河ドラマ天地人も次週が最終幕・・
様々な駆け引きがあっても、景勝(北村一輝)兼続(妻夫木聡)主従は徳川軍団の
一員として大阪城を攻め、淀君深田恭子)、秀頼を亡ぼし豊臣の息の根を止める。
家康(松方弘樹)は元和元年(1615)の大阪夏の陣では、既に74歳にもなっていた。
当時の寿命から考えれば現代では100歳以上の老人となる。少年時代は今川家の
人質となり青年時代は織田信長の子分となり壮年には秀吉に仕え律義者で通った
家康も晩年は狡知に満ちた策謀家と化し、豊臣を亡ぼし徳川の天下が磐石になって
安堵したのか、翌年75年の波乱万丈の人生を終える。戦国武将の本懐だったろう。