大阪城

harimaya2009-11-16

NHK大河ドラマ天地人も来週で大団円だが
昨日の演題が「大阪城炎上」ということで
夏に孫を連れて大阪城に訪れたのを思い出す。
天守閣は残念ながら夏の陣で焼け落ちたが
昭和初期に再建された時にも秀吉の派手な
好みが今に伝えられ金の装飾も素晴らしい。
当時は外郭の北は淀川、南は道頓堀、正面は
高麗橋というから想像を絶する巨城だった。
大阪城をめぐる戦いのクライマックスでは豊臣方城兵10万以上が籠ったことでも
広さが分かるし、対して攻める徳川連合軍は20万以上が摂津平野を埋め尽くした。
冬の陣の後の家康の巧妙な外交と狡猾な手段で内堀までも埋められて裸城となった
大阪城は夏の陣では一日で落ちた。今、天守の内部に入ると資料館となっているが
夏の陣の屏風絵を見れば逃げ惑う城兵や婦女子に襲い掛かる徳川連合軍の残虐さは
戦争における極限の心理を知る思いで人の心の根に潜む悪魔は戦争状態では誰もが
持つものなのか?古今東西の戦争史に例外は無く考えさせられる。