隠居の独り言(768)

今年の初詣は乃木神社で、一昨年は湯島天神、昨年は日枝神社、毎年の初詣の
社寺を変えているのは理由あってのことじゃない。正月になれば手を合わせに
観光も兼ねてあちこちと出かけるのは習慣みたいなものでワケなどまるで無い。
日本人は子供から年寄りまで年年歳歳、初詣客は増えていく。マスメディアは
明治神宮、成田新勝寺、川崎大師、伏見稲荷熱田神宮太宰府天満宮などの
有名社寺の大晦日から新年にかけての混雑ぶりを報道している。若い人たち
神妙な顔をして参拝し破魔矢をいただいて喜々としている姿はつい一週間前に
クリスマスを祝った同一人物と思いたくないが、自分だって同じ仲間の一人だ。
宗教を信じる人から見れば実に不敬そのもので、そこが日本人のいい加減さで
あそこの神様に頼むと何とかしてくれると商売繁盛・家内安全・合格祈願など
神頼みをしても、にわか信心の気楽なワガママを聞いてくださるはずがない。
神様だって、こんな大勢の人達の願い事を一つ一つ叶えてあげる事も不可能だ。
といって駄目な時は「神も仏もあるものか」と悪態をついて神様のせいにする。
宗教とは何事も神様の思し召しで、不幸になっても死んでも文句は申しません。
神様はいつも正しいのであって、お願い事をするとか、対等に口をきくなんて
とんでもない!それが本来の宗教だ!日本人には手を合わせる信心はあっても
心底からの宗教心が無いのは、自然が豊かで温帯地帯に位置し食べるものにも
恵まれた古来人が極端な困窮生活も避けられ神頼みも必要無かったからだろう。
自然は神様と同居し「鰯の頭も信心から」の格言があるように日本人は山海の
大きなものから小さな生物まで神が宿っていると滑稽のように信じられてきた。
荒れた大砂漠の真ん中で生まれたユダヤ・キリスト・イスラムなどの一神教
筋金入りの宗教観とは根本が大きく違う。自らが信仰する宗教を絶対神と信じ
残虐な事も厭わない宗教戦争は現代にも続く人類の病根だがヤオヨロズの神を
信心する私たち日本人は実にお人好しでこの国に生まれた幸せをつくづく思う。