隠居の独り言(794)

ドラマより話は遡るが、江戸時代を通して最大の国家的危機はペリー艦隊の来航で
この時、幕府の政策を担当していた老中・阿部正弘は幕閣にはかり外様大名にも
意見を求め「戦争だけは回避する」としペリーの要求を受け入れることにした。
積極的な開国でないにしても、この決断は外交の現実を知る者にとり当然だが
阿部の政策が裏目となってしまう。それは外交での対策や、開国の意見を諸大名に
問うた事、通商条約で勅許を得ようとした事で、これまで政治は諸大名や朝廷には
発言権がなく広く意見を求めた事であらゆる階層に政治に目覚めてさせてしまった。
幕府は自信の無さを露呈し天皇の意向が国の政策を左右することになり自ら権威を
下げる結果になる。その阿部の幕政改革の最中に39歳の若さで急死して頓挫する。
その後を担った大老井伊直弼が強権を発し阿部が骨身を削って育て上げた改革や
人材が一掃されてしまう。将軍の後継者問題も絡んだ、いわゆる安政の大獄事件は
優秀な人材を死罪や蟄居などで命や政治を絶たれ日本にとって大きな損失だったが
安政6年3月3日の大雪の日に水戸藩士によって江戸城桜田門外で斬られてしまう。
目まぐるしく変わる政変は土佐藩にも大きく影響し、大獄で蟄居処分を受けていた
藩主・山内容堂が復活し幕府開国派の直弼が亡くなった事で尊皇攘夷を唱えていた
半平太(大森南萌)は土佐一国を攘夷一色に染めて朝廷を動かし幕府の開国政策を
改めさせようと躍起となって行動を起こす。開国と攘夷、上士と下士尊王と佐幕
土佐の一触即発の危機を取り持った竜馬(福山雅治)を、参与・吉田東洋が上士に
格上げするという。かたや半平太は竜馬に土佐勤皇党に加盟するよう勧める・・