隠居の独り言(803)

花散らしの雨が降りしきる日に作家・井上ひさしさんの訃報を新聞で知った。
ひさしさんの著書は何冊か読んだことがあるが内容や文章が親しみやすく
言葉の中身、濃さ、表現、その新鮮さは、何度読んでも新しい発見にあえる。
「むつかしいことを、やさしく。やさしいことを、ふかく。ふかいことを
ゆかいに。ゆかいなことを、まじめに」井上さんのモットーは人生訓そのもの・
一度だけお会いしたことがある。井上さんが台東区に住んでいられたころに
ギターの村治教室の発表会に見えられ打ち上げの時、たまたま隣席に座って
当時の村治佳織さんの話など挨拶程度に会話を交わしたのが今も印象に残る。
井上さんの文章の素晴らしさは今更だが、最近の政治家の言葉の薄さよ!
漢字が今一読めなかった前の総理大臣にしても、今の鳩山総理の無責任な
発言の連発に宰相として恥ずかしい。「綸言汗の如し」皇帝が一旦発した
言葉は取り消しが出来ない中国の格言を東大出身の総理は知らぬはずがない。
ゆとり教育のせいか、若者に国語力の弱い人が多い。きちんとした日本語を
話せないのは育てた親も責任大だが学校の国語の時間の短さにも原因がある。
でもこういうことを言っている自分は古臭い人間の部類に入っているだろう。
カタカナ文字の氾濫する世間で、その大半を解せないのは、そろそろ古代人の
仲間になっている。KYは空気が読めない・モトカノは元の彼女・キモイは
気持ちが悪い・等々・言葉は時代で変化するのは当然としても、それにしても
早すぎて着いていけない。最近のメールやブログでも、PCの普及で簡単の
漢字の転換ができるからか文面には漢字が多いが、変換ミスを気付かないのも、
そして文字を実際に書くことは更に難しい。手紙を綴った時代は懐かしいが
恋文なども、今では文章の内容より絵文字やマークが中心で気持ちを伝える。
これはアフリカなどで発見された太古の絵文字文化に似ているのではないか?
人類の文化文明は進歩しているようで、ほんとは退化しているのではないか?
井上ひさし著の「よい日本語、悪い日本語」を読んでみよう。