隠居の独り言(821)

池田屋の事件は幕末史の流れを大きく変えたといって過言でない。京都の守護を
任されていた会津藩や幕府にとってこれほどの戦果の上がった顛末は無かったし
近藤勇原田泰造)率いる新撰組の強烈さを天下に認めさせる鮮明な事件だった。
この戦功で朝廷と幕府から会津藩には感状を、新撰組には幕府から慰労金500両、
朝廷からも下賜金100両が出た褒美があり「勤王」は幕府側の旗印であることを
全国に知らしめる薬効に用いられた。しかし暴力には暴力を呼ぶ。事件のことは
すぐさま船の急行便で京都から長州の山口へ伝達されたが長州藩一同は激怒した。
長州の三秀の一人・吉田稔麿をはじめ各藩の尊皇攘夷論者のリーダー格を斬られ
今までの朝廷への工作や倒幕への自重論を逆なでにされた。長州藩は藩をあげて
行動し数千の兵が隊を組み軍船に乗って僅か一ヶ月で大挙して京都に向かった。
幕末騒乱の引き金はここに引かれた。引いたのは新撰組としか言いようが無い。
遡れば、その背景には京都での混乱を本来は幕府守護代が取り締まるべきなのに
徳川家の旗本八万騎とは名ばかりで250年もの家禄を貪ってきた旗本達の無能、
無力、遊惰、危機感の無さは目を覆うばかりで、結果的には親藩である会津藩
松平容保京都守護職に任じ、幕府も天領の中から選んだ新撰組等に頼っている
情けなさは幕府を築いた家康が泉下で怒っていたに違いない。この事件に関った
人物の中に神戸海軍操練所にいた浪士がいたことで勝燐太郎(武田哲矢)にも
影響して操練所の閉鎖に繋がっていく。ドラマは引き上げていく新撰組に竜馬
福山雅治)は挑もうとするが、居合わせた桂小五郎谷原章介)に止められ、
小五郎は池田屋の恨みは絶対に晴らすと誓う。かたや土佐では以蔵(佐藤健)が
後藤象二郎青木崇高)による厳しい拷問を受けていたが半平太(大森南萌)は
悲しくも彼の悲鳴を聞き耐えるしかなかった。